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「いま」をダンスせよ!『幸せになる勇気』は人生を変える

先が見えない人生だからこそ、「いま」を全力で踊りませんか?

今回は『幸せになる勇気』(2016年)を紹介します。

大ベストセラー『嫌われる勇気』(2013年)の続編で、哲学者の岸見一郎とフリーライターの古賀史健が再び世に送り出す、アドラー心理学の新たな古典。

前作に引き続き、「哲人」と「青年」の対話形式でアドラー心理学を平易にかみ砕いています。

内容としては前作の教えを振り返りながら、青年が新たに直面する「教育」の問題や、そこから導き出される「社会」や「愛」の形式を語るといったもの。

本書もまた人生を変える契機として、万人におすすめしたい哲学書といえるでしょう。

気になる箇所をピックアップしてみたので、まだ読んだことがない人はつまみ食いをどうぞ。

「いま」を肯定する力:『イエスタデイ』

たとえばいま、あなたが人生に思い悩んでいるとしましょう。自分を変えたがっているとしましょう。しかし、自分を変えるとは、「それまでの自分」に見切りをつけ、「それまでの自分」を否定し、「それまでの自分」が二度と顔を出さないよう、いわば墓石の下に葬り去ることを意味します。

『幸せになる勇気』63頁。

前作『嫌われる勇気』でも語られましたが、アドラー心理学の本質は「目的論」という言葉に集約されます。

つまり、人間は過去の原因に突き動かされる(原因論)ではなく、現在の目的に沿って生きている(目的論)ということ。

たとえば、ここに過去のトラウマを抱えて悩んでいる人がいたとします。

彼は「家庭環境が悪かったから、こんな暗い性格になったんだ!」と話すでしょう(原因論)。

しかし、それはアドラー心理学の思想からすると正しくありません。

本当のところ、彼は他者と関わることを恐れており、その目的を叶えるために自ら「暗い性格」を選択したのです(目的論)。

家庭環境云々というのは、彼がその言い訳として用意した過去のひとつにすぎません。

過去の出来事が生を決定するのではなく、過去の出来事にどのような意味を与えるかによって自らの生を主体的に決めているのです。

こう考えてみると、私たちは過去に振り回される必要性がまったくないことに気付かされます。

「あの時ああしていれば人生が変わっていたかもしれない」と後悔するのは無意味であり、それどころか過去の意味はいくらでも書き換えることができるのです。

どうやって? いまを生きることによってにほかなりません。

それは、たとえば映画『イエスタデイ』(2019年)のようなものかもしれません。


この作中で、主人公の青年ジャックは「ビートルズが存在しなかった」パラレルワールドへと飛ばされます。

詳しくはネタバレになるので避けますが、彼が最後にその世界、あり得たかもしれないひとつの世界を肯定したことは、ある意味アドラーの哲学に通じているといえるでしょう。

その教え通り、ジャックは主体的に「いま」を選択し、過去の意味を書き換えることに成功したのです。

他者を愛する技術を磨け:フロム『愛するということ』

たしかに、他者から愛されることはむずかしい。けれども、「他者を愛すること」は、その何倍もむずかしい課題なのです。

『幸せになる勇気』231頁。

さらに、アドラーの哲学は「愛」の領域へと入っていきます。

アドラー心理学が生の目的として掲げる「共同体感覚」を突き詰めていくと、「愛」の問題へたどり着くというのです。

そこには、アドラー同じドイツの思想家・エーリッヒ・フロムと共鳴するものがあります。

フロムが『愛するということ』(1956年)という著作で提起したのは「他者を愛する技術」の問題でした。

多くの人は愛を「愛されること」を基準に捉えていますが、そうではなく「愛すること」こそが重要だというのです。

人が誰かを無条件で愛するとき、そこ見えるのは利他主義の考え方です。

相手に見返りを求めるのではなく、ひたすら相手を信じて愛を与える態度によって幸福は生まれる。

それがフロムにとっての理想の愛だったのであり、アドラーにとっても重要な価値観だったのです。

自己中心性から脱却した先に、アドラー心理学の理想である「共同体感覚」が見えてきます。

「いま」をダンスせよ!:『ダンス・ダンス・ダンス』

踊るのです。わかりもしない将来のことなど考えず、存在するはずもない運命のことなど考えず、ただひたすら、目の前のパートナーと「いま」をダンスするのです。

『幸せになる勇気』267頁。

『幸せになる勇気』に登場する哲学者は、最後に「ダンスすること」の意義を語るのでした。

アドラー心理学はあらゆる決定論や運命論を退けます。

なぜなら、運命とは自らの手で獲得するものにほかならないからです。

上で述べた「愛すること」とは、言い換えればこの運命を掴み取るということ。運命の下僕とならず、運命の主人となること。

その比喩としてアドラーが持ち出したのが「ダンス」だったのです。

目の前のパートナーと互いに手を取り合い、「いまこの瞬間」を全力でダンスすること。

少し古い作品ですが、村上春樹の『ダンス・ダンス・ダンス』(1988年)はまさにこの「ダンス」することの難しさを語っていたのではないでしょうか。

シンプルだけど、一筋縄ではいかないライフスタイルですよね。

『嫌われる勇気』でも、アドラー心理学の実践には「自分が生きてきた時間の半分」が必要である、と言われていました。

20歳なら10年、40歳なら20年。そうやって少しずつ会得していくものなのでしょう。

『幸せになる勇気』とは、そのための最初の一歩に過ぎないのです。