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「デビュー作こそベストである」とまでは言わないが、処女作にその作家の精神が込められているというのは、あながち間違いとはいえないだろう。

限られた予算、限られたスタッフのなかで、いったい何を表現することができるのか。

その可能性を探った処女作は、たとえ粗削りであったとしても異彩を放っているに違いない。

今回は、そんな魅力を感じられる作品、ポン・ジュノ監督の『ほえる犬は噛まない』を紹介しよう。

『ほえる犬は噛まない』とは


『ほえる犬は噛まない』(2000年)は韓国映画界の鬼才、ポン・ジュノ監督の劇場デビュー作である。

とある団地を舞台に、飼い犬の失踪事件をめぐる顛末を描いている。

興行的には失敗となったが、乾いた笑いを誘うテイストがいかにもポン・ジュノらしい。その後の『殺人の追憶』や『パラサイト 半地下の家族』にも通じるブラックコメディといえるだろう。

主演はイ・ソンジェ。日本ではそこまで知られていないが、最近ではキム・ギドク『人間の時間』(2018年)にも出演した俳優である。

さらに、もう一人の主役として若き日のペ・ドゥナが抜擢されている。彼女は後に韓国を代表する女優となり、『リンダ リンダ リンダ』(2005年)や『空気人形』(2009年)といった日本映画にも出演することになる。

ちなみに韓国語の原題は『フランダースの犬』。犬殺しの登場する作品に"パトラッシュ"とは、ポン・ジュノ監督の痛烈な皮肉が効いているといえよう。

また、「ほえる犬は噛まない」というのは韓国の諺で、口やかましい者ほど実行が伴わないことを意味している。

『ほえる犬は噛まない』あらすじ

大学で教鞭をとるユンジュは、妊娠中の妻ウンシルと小さな団地で暮らしている。だが、いつまで経っても教授になれず、家では妻の尻に敷かれる始末。

うだつの上がらない彼は、団地に響き渡る犬の鳴き声を煩わしく感じていた。

そんな折、たまたま放し飼いにされていた子犬を見つけたユンジュは、何を思ったのか捕まえて殺そうとしてしまう。

しかし、寸前のところで邪魔者が入り、彼は慌てて近くのキャビネットに犬を閉じ込めるのだった。

一方、団地の管理事務所に勤めるヒョンナムは天然気味の女の子。近くの文房具店で働く友人のチャンミと、いつも他愛のない話をして過ごしていた。

ある日ヒョンナムは、一匹の飼い犬が失踪したという話を耳にする。真相を突き止めれば一躍有名になれるかもしれない、と浮足立つ彼女。

だが、その当事者であるユンジュはといえば、掲示された飼い犬の写真を見て慌てふためくのだった。

こうしてユンジュとヒョンナム、それぞれの目線から、飼い犬の失踪事件が語られていくことになる。

【ネタバレ】『ほえる犬は噛まない』感想・考察

ハートフルな動物虐待映画

『ほえる犬は噛まない』は、犬食文化が根強く残る韓国ならではの作品といえるだろう。

何せ主人公のさらった飼い犬が食べられてしまうのだから、なかなか度肝を抜かれる展開だ。

ちなみに、作品の冒頭には、ここに出演している犬は虐待を受けていないという旨の但し書きが挿入されている。

最近のハリウッド映画ではよく見受けられるテロップだが、もちろん本作はハートフルな動物映画などではない。

むしろ「動物"虐待"映画」というジャンルがあれば、間違いなくこの作品を推したいくらいである。

もちろん、作品を否定する意味で言っているのではない。

動物虐待を描きながらも、この作品の登場人物たちはどこか憎めない存在なのだ。

犬を飼うこと=(不正によって)勝ち組になること

主人公のヒョンナムは、うだつの上がらぬ境遇を嘆き、目に留まった子犬を殺そうとしてしまう。

そこには、学歴がありながらも出世することができない男のルサンチマンが透けて見える。

つまりヒョンナムにとって、子犬は勝ち組の象徴なのである。さらに言えば、それは彼が出世を不公正と考えていることも意味している。

というのも、団地でペットを飼うことは本来禁止されている行為なのである。そしてヒョンナムは、教授への賄賂によって職を得ようとしていた。

真面目なヒョンナムは、学問を身に着ければ大学教授の夢が叶うと思っていた。だが、それは誤りで、出世レースは時に不正な手段が必要であることを悟ったのである。

その心理的な葛藤、やり場のない感情が、吠える飼い犬へと向けられたのだ。

ポン・ジュノとは"地下"の監督である

『パラサイト 半地下の家族』(2020年)が話題となっているが、ポン・ジュノが"地下"を登場させるのは毎度のこと。

たとえば『殺人の追憶』では、警察の尋問はすべて地下室で行われていた。『グエムル-漢江の怪物-』でペ・デュナ演じる少女がさらわれた先は、漢江の地下水道である。

そして本作『ほえる犬は噛まない』でも、重要な出来事は団地の地下で起きている。

こうなると、ポン・ジュノの物語は"地下"から生起するのだ、とでも言いたくなってしまう。

実際、そこには格差社会の構図があらわれているのだ。

主人公のヒョンナムはたしかに貧しい非常勤講師だが、団地の地下には警備員や浮浪者がたむろしている。

貧困は二重三重に堆積しているのであって、だからこそ容易に解決へと導くことができないのである。

ちなみに、『パラサイト 半地下の家族』についてはこちらの記事も参考にしてほしい。

『吠える犬は噛まない』の次はこれ:『死刑台のエレベーター』


フランスの映画監督、ルイ・マルによる1958年の作品である。

『吠える犬が噛まない』は終始ジャズが流れているが、その原点はこの『死刑台のエレベーター』だろう。

マイルス・デイビスによる演奏は、物語と相まって鮮烈な印象を残すに違いない。