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『嫌われる勇気』アドラー心理学のコペルニクス的転回とは?

これは僕だけではないのかもしれないけど、これまで自己啓発本というものをほとんど手に取ろうとはしてこなかった。きっとそういった人種というのは一定数存在して、書店に行ってもその棚に近寄ろうとはしないばかりか、「自己啓発」という言葉自体を嫌悪しているのだろう。

たしかに書店に並んでいる本の9割5分ぐらいは読む価値のないもので、自己啓発と謳っているものの多くがそちらに分類されることに異議はない。「成功」や「勝ち組」や「人生」といった言葉が並んでいるビジネス書は総じて資源ゴミであるとさえ思う。

そういった自己啓発書を「キャリアポルノ」と批判したのは谷本真由美だった。彼女によると、キャリアポルノというのは、要するに美辞麗句を書き連ねるだけで実際の行動にはつながらず、ただ読んでストレスを発散するだけの本のことだという。

たしかに言いえて妙だ。

でもこの本は違う。『嫌われる勇気』は具体的なアクションを促すという意味で、良質な自己啓発本であるに違いない。書かれた言葉が、多くの人間のライフスタイルや人生観に影響を与えるのだ。これが書物の真髄でなくて何だろう?

【要約】ベストセラー『嫌われる勇気』をつまみ食い

あらためて、ベストセラー『嫌われる勇気』の要約をしてみよう。

著者によると、アドラー心理学が目標に掲げているのは次のようなものだ。

行動面の目標
  1. 自立すること
  2. 社会と調和して暮らせること
この行動を支える心理面の目標
  1. わたしには能力がある、という意識
  2. 人々はわたしの仲間である、という意識

この目標を達成するために、アドラーが提唱するのが個人心理学の考え方だ。

個人心理学は精神/身体、理性/感情、意識/無意識といった二元論の価値観に反対する。個人とはそうした要素の集合体ではない。そうではなくて、個人とはそれ以上分割することができないもの、ひとつの全体性なのである。

【重要】原因論から目的論への展開

そう、この個人という全体が「自立すること」や「社会と調和して暮らせること」といった目的に向かって進んでいる。

この目的という言葉に注目してみよう。アドラーの教えでは「過去にトラウマがあったから引きこもりになった」というような原因論が否定される。そうではなく「引きこもりになりたいから、トラウマがあった」という目的論であるべきなのだ。

これは心理学におけるコペルニクス的転回だといえるだろう。コペルニクスによって天動説から地動説へと世界の認識が180°変わったように、原因論から目的論への大きな転回が行われたのだ。

原因論から目的論への展開
原因論「過去にトラウマがあったから引きこもりになった」

目的論「(特別な存在として)引きこもりになりたかったから過去にトラウマがあった(という意味付けをした)」

そして、同じようなことが対人関係にも言える。アドラーいわく「人間の悩みは、すべて対人関係の悩みである」からだ。

多くの人は他人の目を気にし、他人との比較をしながら生きている。人間関係によって自分の価値が決まると思い込み、劣等感や優越感に浸ろうとするのだ。

しかし、アドラーはこうした関係性を否定する。私たちを苦しめる劣等感は「客観的な事実ではなく、主観的な事実なのだ」と。

こうして、アドラー心理学は主観性を獲得することになる。

客観性から主観性への転回
客観性「対人関係による劣等感が私を苦しめる」

主観性「劣等感は私の解釈にすぎず、それは長所にもなり得る」

【誤解】「嫌われてもいい勇気」ではない

ここで注意したいのは、この転回が自分中心の認識を認めるものではないということにある。

つまり、世界の中心が自分にあるというわけではないのだ。重要な箇所なので引用しておこう。

そして、人生における主人公は「わたし」である。ここまでの認識に問題はありません。しかし「わたし」は、世界の中心に君臨しているのではない。「わたし」は人生の主人公でありながら、あくまでも共同体の一員であり、全体の一部なのです。

ここで強調されているように、何もアドラーは自分勝手な身の振る舞いするように言っているわけではない。勘違いしている人もいるようだけど『嫌われる勇気』とは「嫌われてもいい勇気」のことではないのだ。

私は共同体の中心にいるのではなくて、共同体の一部として生きているのである。ちなみに、アドラーはそれを共同体感覚と呼んでいる。

この感覚を持つことこそ、最初に述べた目的である「自立すること」と「社会と調和して暮らせること」の意味なのだ。そのためには「自己受容」と「他者信頼」、そして「他者貢献」の3つがなくてはならない。

【結論】他者貢献こそが幸福である

最後に挙げた他者貢献とは、見返りや承認を求めることなく誰かに対して貢献をするということだ。それは目に見える貢献でなくても構わない。重要なのは、「わたしは誰かの役に立っている」という主観的な感覚を持つことなのである。

そしてこの感覚こそが「幸福」にほかならない。他者からの承認などなくても、貢献しているという感覚だけで人は幸福になれるのだ。