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『Love Letter』あらすじと考察:二人の中山美穂は思い出の彼方に

岩井俊二監督の最新作『ラストレター』が公開されたが、その対となる作品『Love Letter』(1995年)について書いておきたい。

『ラストレター』と同じように、この『Love Letter』も手紙の"誤配"をめぐる物語である。

岩井俊二の作品については、その独特の映像美によって評価されている文脈が多い。

だが、彼は"映像"の人であると同時に、"文字"の人でもあるのだ。日本映画界を代表する監督となった今日でも尚、その事実を忘れてはならない。

この『Love Letter』が手紙をモチーフにしたように、あるいは『リリィ・シュシュのすべて』がインターネット上の掲示板を背景としたように、彼の作品には文学的とも呼べるような言葉への執着が見られるのである。

だからこそ、彼の感性が結実した『ラストレター』を鑑賞するとともに、あらためて『Love Letter』の主題について語り直そう。

岩井俊二監督『Love Letter』とは


『Love Letter』は1995年に公開された、岩井俊二監督の長編映画デビュー作である。

興行的には大ヒット。この年の日本アカデミー賞では優秀作品賞を獲得するなど、数々の栄誉に輝いた作品だ。

ちなみに後に韓国でも公開され、海の向こうで一種の社会現象を引き起こすことになった。

韓国で公開された日本映画(ただし実写)としては、現在でも歴代興行収入第一位の記録を持っている。

主演は中山美穂。彼女は一人二役を演じているのだが、あえて髪形などは変えなかったという。二人の女性を内面だけで演じ分けた才は流石といえるだろう。

その他キャスト豊川悦司や酒井美紀らが名を連ねている。

ちなみに映画の終盤、回想シーンで流れるピアノ・ソロは、当時8歳の声優・牧野由依が演奏したもの。彼女は岩井監督と、ミュージシャンである父・牧野信博を通して知り合ったという。

『Love Letter』あらすじ

神戸に暮らす渡辺博子は、2年前に婚約者の藤井樹を山岳事故で失っていた。

その法要からの帰り道、樹の実家に立ち寄った博子は、そこで彼の卒業アルバムを開くことになる。

その思いを断ち切ることができず、書かれていた樹の住所をとっさにメモした彼女は、死んだ彼に宛てて届くはずもない手紙を出すのだった。

ところが数日後、信じられないことに手紙の返事が来る。

実は彼女が送った宛先は誤りで、手紙は同姓同名の女性・藤井樹のもとに届いていたのである。

彼女は中学時代、後に博子の婚約者となる藤井樹と同級生だった。

文通を通してその事実を知った博子は、やがて自分が知らない婚約者の記憶を辿っていくことになる。

『Love Letter』感想・考察

鮮やかな色調で描かれる回想シーン

長編映画第1作とはいえ、すでに岩井俊二の作家性が強烈に発揮されている作品である。

なかでも印象的であるのが、あるべき現実を幻のように見せてしまう感性だ。

この『Love Letter』という作品では、現在における博子と樹の交流と、その交流を通して回想される樹の中学時代とが交互に描かれていく。

ところが、現在の場面が朧気な色調で描写される一方で、回想シーンがあまりに鮮やかに描写されている気がしてならないのだ。

まるで過去だけが真のリアリティを持つかのように。現在はその彼方へと消えてしまうかのように。

おそらく、それこそが本作『Last Letter』という物語の骨格になっているのだろう。

けっして会うことがない二人

そもそも、博子と樹は現実において絶対に出会うことができない。この"できない"というのは、二重の意味で"できない"のである。

第一の意味として、博子は婚約者である樹と会うことが"できない"。言うまでもなく、彼は山岳事故で命を落としてしまっているのだから。

第二の意味として、博子は小樽に暮らす女性の樹と会うことが"できない"。二人は文通だけの関係であり、何より中山美穂は一人しか存在しないのだから。

この二つの不可能性を、ひとつの可能性へと変転させる力はなんだろうか? 

きっと、それこそが「言葉」なのだ。

博子は言葉を介することで小樽の樹と繋がることができ、彼女の回想を通して婚約者の樹と繋がることができる。

言い換えれば、主人公があてどもなく投函した手紙は、"誤配"によって別人のもとへ届けられ、そこから過去のイメージが喚起される。

いわば、物語の目的は過去というイメージのなかにある。岩井作品にとって、現在とは仮象に過ぎないのだ。

過去の方がリアリティを持っているというのは、ある意味では当然のことなのである。

岩井俊二による二つの主題:『Love Letter』と『ラストレター』

同様のことが、『Love Letter』から25年の歳月を経て公開された『ラストレター』(2020年)でもいえるだろう。

ちなみに『ラストレター』に関しては、こちらの記事も参照されたい。

この作品も、やはり手紙の"誤配"がきっかけとして始まる物語だ。

主人公の小説家・鏡史郎は、かつて好きだった女性・未咲を忘れることができずにいる。

しかし、偶然出会った未咲の妹との文通が、そんな彼に変化を与えていくのである。

『Love Letter』も『ラストレター』も、言葉によってイメージが喚起される点では同じである。

ただし『Love Letter』で喚起されたのは、恋に落ちた相手へのメッセージだった。反対に『ラストレター』で喚起されるのは、恋を断ち切り、前を向いて進むためのメッセージなのである。

『Love Letter』の次に観るなら:『ドッペルゲンガー』

一人二役を用いた映画は少なくない。古くはジョン・フォードの『俺は善人だ』(1935年)がそうであるし、近年では『クラウド アトラス』(2012年)も記憶に新しい。

二役といっても、別にそれぞれのキャラクターが同じ画面に収まる必要はないのだ。

モンタージュによって同一場面にいるように見せることができるのが、映画の映画たる所以であるといえる。

だが、それでも二人の人物を同じ構図に収めることに執心した作品が、黒沢清監督の『ドッペルゲンガー』(2003年)である。

映画において会えるはずのない二人が会ってしまった時、いったい何が起こるのか。

そんな可能性のひとつを提示した作品と言えるだろう。