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オクジャ

群雄割拠の様相を呈している定額制動画配信サービス(SVOD)市場だが、そのなかでも差別化に成功しているのがNetflixだ。

同サービスはコンテンツの数こそ少ないものの(非公開だが、まずHuluやU-NEXTの方に軍配が上がるだろう)その魅力的なオリジナル作品には目を奪われる。

たとえば、ベネツィア国際映画祭コンペティション部門で金獅子賞を獲得した映画『ROMA/ローマ』(2018年)などが代表例だろう。

Netflix配給によるこの作品は、劇場公開とほとんど変わらないタイミングで、同サービス上での配信が開始されている。

そう、映画は劇場で観るものという常識は、とっくに覆されているのだ。

ちなみに、劇場公開中の作品を自宅で観れるサービスとしては、こういったものがある。

そこで今回は、『ROMA』と同じNetflixによる配給作品『オクジャ/okja』を紹介しよう。

『オクジャ/okja』とは


『オクジャ/okja』(2017年)はポン・ジュノ監督によるモンスター映画である。

本作はカンヌ国際映画祭のコンペティション部門に出品されているが、ストリーミングサービスによる配給作品であることから賛否を呼ぶ形となった。

結果としてパルムドールは逃してしまったが(受賞したのはリューベン・オストルンド監督『ザ・スクエア 思いやりの聖域』)批評家や観衆からは高い評価を受けている。

『オクジャ/okja』あらすじ

多国籍企業のミランド社は、チリの農場で発見された大豚「スーパーピッグ」の繁殖に成功する。

環境問題へ取り組む姿勢を見せたい同社CEOのルーシー・ミランダは、この機会を使って一大キャンペーンに打って出ることに。

それは26匹のスーパーピッグを世界各地の畜農家へと送り出し、10年間にわたり飼育させた後コンペティションを行うというものだった。

それから10年後……。

韓国の山間部で祖父と暮らす少女・ミジャのもとには、成長したスーパーピッグの「オクジャ」がいた。

強い絆で結ばれたミジャとオクジャ。だが二人の生活は、米国からやって来た使者によって終わりを告げられる。

オクジャはニューヨークへと運ばれ、ミランド社に引き取られる手筈になっているのだ。

オクジャとの離別に耐えられず、ミジャは祖父の制止を振り切ってソウルへと向かう。

そこで出会ったのは、彼女と同じようにオクジャを解放させようとしているALF(動物解放戦線)の一派だった。

彼らによると、スーパーピッグは遺伝子組み換えの産物だという。風評を懸念したミランド社その事実を隠し、コンペティションとは名ばかりの販売促進キャンペーンを行っていたのである。

ミジャとともにミランド社の実態を暴こうとするALFと、ミジャを利用してキャンペーンを続行しようとするミランド社。

両者が激しく対立するなか、ミジャは必死でオクジャの行方を追うのだった。

『オクジャ/okja』感想と考察

 多分にネタバレを含んでいる。

海外へと足場を移したポン・ジュノが、『スノーピアサー』(2013年)に続き制作した作品である。

個人的には、この『スノーピアサー』から『オクジャ/okja』、そして『パラサイト 半地下の怪物』(2019年)へといたるラインには一貫性があると感じている。

これはグローバルな視座に立ったポン・ジュノが、その社会的な主題を深化させていく過程なのだ。

『グエムル』との共通項とは?

ポン・ジュノ監督は、以前にもモンスター映画を発表したことがあった。2003年の『グエムル-漢江の怪物-』である。

とはいえ、生物の造形や設定はまったく異なっている。『グエムル』に登場するのは両生類に近い凶暴なモンスターであり、無差別に人々を襲う存在である。

一方、本作に登場するオクジャは大きな豚。それを可愛らしいと思うかどうかは観る者によるだろうが、少なくとも主人公のミジャにとっては大切な家族である。

こうして見ると、どちらも一人の少女を主人公としているだけで、『グエムル』と『オクジャ』はまったく正反対の物語であるように思えるかもしれない。

だが、それは少し表層的な見方だろう。『グエムル』の怪物が、在韓米軍の不法投棄した薬品によって生まれた事実を忘れてはならない。

そう、フランケンシュタインからゴジラにいたるまで、モンスターはいつだって人間社会の暗部から生まれるのである。

この二つの作品で描かれているのは、人間が作り出した生物に人間が翻弄される構図である。端的にいってしまえば、それはローカルとグローバルの構図であるといえるだろう。

『グエムル』においては、両者(韓国と米軍)はけっして交わることがないものだった。『オクジャ』においては、両者(自然と社会)は翻訳者(ALF)という存在を介して対話をするのである。

なぜ金の豚は"金"となったのか?

身も蓋もないネタバレになってしまうのだが、物語のラストでミジャはミランダ社の手からオクジャを取り戻すことに成功する。

それは彼女が同社CEOのルーシーに純金製の豚を渡したからであるのだが、よく考えてみると皮肉な話である。

というのも、この金の豚はミジャの祖父から渡されたもの。彼はオクジャをミランダ社から買い取ることに失敗し、その代わりに金の豚を買ったのだった。

祖父の言が本当だとすれば、なぜ当初はオクジャを買い取ることができず、逆にラストではあっさりと買い取ることができたのだろうか。

答えは簡単だ。

当初ミランド社のCEOに就任していたルーシーは、環境保護主義者を自称し、オクジャをキャンペーンの一部として利用していた。だが、終盤で彼女の後を継いだナンシーは、徹底した合理主義者であり、オクジャを商品として見ていたのである。

いわば、ルーシーはイメージとロマンの世界に生きていた。一方のナンシーは資本主義のリアルな世界を生きていたのである。

そう考えると、この物語の結末をハッピーエンドと呼ぶことは躊躇われてしまう。資本主義に譲歩したからこそ、オクジャ(と一匹の子豚)を救うことができたのだ。

逆にいえば、資本主義の論理をもってして、愛すべきオクジャだけを救うことができたのである。

はたして祖父の言う通り、少女は大人になったのだろうか。オクジャの瞳には、いったい何が映っているのだろうか。

『オクジャ/okja』を観た後は:『もののけ姫』

これほどまでに自然と社会の対立をドラスティックに描いた映画は他にあるまい。

オクジャは山犬だろうか。いや、オクジャはサンなのだ。

それは社会と自然との"あわい"に立つ存在であり、ミジャとアシタカはその同伴者なのである。