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何の映画だったか、どうしてもタイトルが思い出せない。

きっと記憶に残らないほど安っぽいメロドラマだったのだろう。だけど、その作中でこんな台詞があったことは覚えている。

「この愛は世界中の言葉を集めても表現することができない」

そう、どんな言葉をもってしても、愛の本質を伝えることはできない。

その通りだ。この世界には言葉で表現できないものが確実に存在する。たとえば、それは愛であったり、美であったり、幸福であったりするだろう。

世界の本質が言葉の向こう側にあることに、僕も異論はない。

しかし、だからこそ言葉を武器にしなければならないのだ。

世界中の言葉を集めたとき、そこに存在しないものこそが愛や美、幸福であると信じているからだ。

『20歳の自分に受けさせたい文章講義』で文章を磨く

言葉は人生の武器になる。その武器を磨くための指南書として、『20歳の自分に受けさせたい文章講義』を強くおすすめしたい。

著者は古賀史健。『嫌われる勇気』で知られるフリーライターだ。

そのモットーは「ライターとは“翻訳者”である」「文章は“リズム”で決まる」とのこと。本書もこの信念に基づいて書かれている。

参考までに目次を載せておこう。

『20歳の自分に受けさせたい文章講義』目次

  • その気持ちを「翻訳」しよう
  • 文章は「リズム」で決まる
  • 構成は「眼」で考える
  • 読者の「椅子」に座る
  • 原稿に「ハサミ」を入れる

以下に要点をまとめてみる。

文章を書くとは「翻訳」すること

誰しもが頭の中に浮かべている思考や感情。その「ぼんやりしたもの」を言葉にするのは並大抵のことではない。

なぜ難しいのか? 著者の答えは簡単である。つまり「書こうとするから、書けないのだ」。

それは縦のものを横にするようなもの。

よく作文の授業で言われたように、「思った通りに書こう」とすれば、かならず筆が止まってしまう。言葉が淀みなく流れ出るなんて幻想だ。

そうではなくて、文章は「翻訳」のようなものだと思えばいい。

頭の中の思考を整理して、分かりやすい言葉に翻訳すること。それが出来なければ、人に伝わる文章を書くことはできない。

「考えて書く」のではなく「考えるために書く」

この「翻訳」という行為はとても頭を使う。バラバラに散らばった思考の断片を組み合わせ、まとまりのある文章にしなければならない。

何かを理解できたから言葉にできるわけじゃない。言葉にしようと試みる過程で、人は理解するのだ。

余談だけど、このあたりは著者が携わった『嫌われる勇気』にも通じる話だろう。

アドラー心理学によると、原因から目的が導かれるのではなく、目的に合わせて原因が作り出されるのだった。

この転倒は「翻訳」という考え方にも当てはまる。つまり「考える」という原因があって「書く」という目的が導かれるのではない。

そうではなくて、「書く」という行為によって「考える」ことがもたらされるのである。

要はアウトプットの重要性を説いているのだが、あらためて言われると胸に染みる。

文体における「リズム」とは何だろうか?

こうして書かれる文章にも善し悪しがある。それは何によって決まるのだろうか?

たとえば、文章術に関連する様々な本で「文体」の問題が語られている。この文体、著者に言わせると「リズム」であるという。

リズムの悪い文章は読みにくいし、リズムの良い文章は読みやすい。

具体的にいえば、このリズムは読点や句読点、あるいは文と文の接続などによって決まる。

しばしば書いた文章を音読することが推奨されるけど、聴覚的なリズムだけでなく、目で見たときの視覚的なリズムも意識することが大事。

書く技術をもっと磨かないと…

『20歳の自分に受けさせたい文章講義』の要点をまとめてみた。

まだまだ自分には技術が足りないことを痛感。

このブログを毎日更新していくなかで、少しずつ上達を目指したい。