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【今後の運営方針】当ブログの映画記事に関して

こんにちは。「独走的な、あまりに独走的な」へのご来訪ありがとうございます。

このブログでは主に映画についての記事を上げています。数多くの映画ブログが存在する中で、このブログが取るべき方向性について考えてみました。

当座の運営方針として、以下のルールを掲げます。

ルール①:アクセスできない作品は取り上げない

当ブログで扱う作品は、基本的に動画配信サービス(VOD)で鑑賞できるものです。見放題で楽しめる作品もあれば、別途購入が必要な作品もあります。記事内にはリンクが張ってあるので、その先へ飛んでいただければ鑑賞方法が分かるようになっています。

また、そのサービスでの取り扱いが終了した作品については、随時チェックした上で代替サービスを紹介します。万が一、リンクに不備などがあれば、お手数ですが教えていただけると助かります。

ちなみに、個人的に最もおすすめなのがU-NEXT。数ある動画配信サービスの中で、見放題作品数はNo.1です。

ルール②:ネタバレはしない

映画ブログを運営する上でネックになるのが「ネタバレ」。これを含めるかどうかで、記事の構成は180度変わってきます。

当ブログでは、基本的にネタバレをしません。ただし、作品を解説する上でどうしても避けて通れないネタバレがある場合は、注意書きを入れた上で触れることにします。

間違っても意味のないネタバレは行いません。当ブログは、そうした露骨趣味を主眼とするトレンドブログを最大の仮想敵としています。

ルール③:感想は書かない

当ブログでは映画の感想を扱いません。あくまでも解説や考察記事に終始します。いったい何が「感想」で何が「解説」なのか、境界線が曖昧なところではありますが、僕は次のように定義しています。

感想:価値判断の基準が自分にある
解説:価値判断の基準が世界にある

もちろん、その定義が容易に揺らぎかねないことは承知しています。「解説」といっても、結局は僕の目で見て、僕の手で書いているに過ぎないわけです。そこには否応なく主観性が入り込んでしまいます。

それでも、このブログが主観的な映画感想文を書くことはありません。つねに客観的であろうと試みていきます。

ルール④:採点はしない

上記と関連しますが、当ブログでは映画の採点を行いません。

75点と76点の間にどのような差異があるのか僕には分からないし、それは5段階評価にしたところで変わらないように思います。初めて鑑賞した時は星2つだったけど、数年後にあらためて観たら星5つぐらいになっているかもしれない。その時、最初の評価に対する担保はどこへ行ってしまうのか見当もつかない。

もちろん、定量化することによる一定のメリットはあると思います。特に新作映画ともなれば、身銭を切ったチケットを無駄にはできません。大半の方が劇場へ足を運ぶ前に前評判をチェックするはずです。

でも、それは大手のレビューサイトか、よほど信頼の置ける個人のブログに任せればいいと思います。少なくとも、当ブログは鑑賞の判断基準となるようなものではありません。

参考:映画批評サイト「Rotten Tomatoes」

海外の映画であれば、「Rotten Tomatoes」(ロッテン・トマト)のサイトが役に立ちます。アメリカの映画批評サイトですが、信頼の置ける評論家がレビューを行っており、その評価の平均が「トマトメーター」として点数で表されます。

たとえば『スターウォーズ スカイウォーカーの夜明け』の評価は以下のような評価を受けています。

Rotten tomatoes
左の「TOMATOMETER」が公認の批評家による評価を表します。右の「AUDIENCE SCORE」は一般観客による評価。『スターウォーズ スカイウォーカーの夜明け』は批評家の評価が異様に低いことがうかがえます。

さらに詳しく採点方式を記すと、批評家によるレビューは、まず肯定的/否定的の二種類に分類されます。その上で、全体のレビューのうち何%が肯定的だったのかが「TOMATOMETER」として表示されるわけです。「AUDIENCE SCORE」も同様。

ちなみに、パーセンテージの横にあるマークは数値によって変化します。
TOMATOMETER
「TOMATOMETER」が60%以上だと「Fresh」(画像上)のマークが、59%以下だと「Rotten」(画像下)のマークがつきます。映画を鑑賞する上での参考にしてみてください。

ルール⑤:批判はしない

気持ちは分かります。ポップコーンを投げつけたくなるような作品があり、吐き気を催すような作品があります。

ただ、スクリーンに罵声を浴びせるのは他の方に任せます。先に述べた「レビューをしない」こととも関係しますが、僕の場合は批判点をあげつらうよりも、評価すべき点や独自の着眼点を探す方が面白いと感じています。

どんな作品にも世界との接合点があるはず。それを見出すのが当ブログを運営する趣旨でもあります。

ルール⑥:ジャンル分けはしない

当ブログでは、「サスペンス」や「恋愛」といったジャンル分けはしません。ホラー映画のようなSF映画があり、恋愛映画のようなサスペンス映画があります。最初からジャンルを規定せず、宙吊りにしてみせる作品も無数に存在します。

結局のところ、そうした分類方法は意味を失いつつあります。かといって、何もタグ付けしないのはブログとして乱雑になってしまいます。

そこで、当ブログでは基本的に作家主義(以下注)のスタンスを取ります。タグも基本的に監督名のみ付してあり、ある程度まとまった段階で監督の紹介記事も執筆していく予定です。

注:作家主義について

「作家主義」という言葉があります。フランスの映画批評誌に「カイエ・デュ・シネマ」というものがあるのですが、この雑誌の評論家だったフランソワ・トリュフォーが1955年に提唱した考え方です(トリュフォーはその後映画監督に転身し、「ヌーヴェルヴァーグ」と呼ばれる映画運動の旗振り役となりました)。

彼は、それまで大衆娯楽であった「映画」に芸術的な価値を見出そうとしました。たとえば「小説」や「音楽」というジャンルには、それぞれ固有の作家が存在します。『吾輩は猫である』を執筆したのは夏目漱石であり、「月光」を作曲したのはベートーヴェンです。

それと同じように「映画」というジャンルにも固有の作家が存在すると主張したわけです。この作家というのは、つまり映画監督のことです。「そんなの当たり前じゃないか」と思うかもしれませんが、当時は「作品」が評価されることがあっても、その作品を撮った「監督」が正当に評価されることは少なかったのです。

それまで軽視されてきた「監督」に目が向けられることで、その作品群に共通するテーマ作家性を捉えることができるようになりました。これにより、映画を芸術として論じる可能性が広がったわけです。

当ブログも、基本的にはこの作家主義に従います。「基本的には」と留意したのは理由があって、それは作家主義には否定的な側面もあるからです。

お気づきの方もいるかもしれませんが、作品を作家一人の所有物とみなす考え方は危険性をはらんでいます。小説や音楽とは違い、映画は脚本家やプロデューサーなど、非常に多くの人の手で成り立っています。とりわけハリウッドの大作映画となると、大規模な予算が組まれ、完璧なスケジュールで製作が進行していきます。監督の降板劇なども茶飯事であり、そこに「作家」という概念を見出すのは難しいかもしれません。

したがって、近年の大作映画に関して必要以上に作家性を求めることはしません。むしろ、同時代的な連関のなかで作品を捉えていく方が有意義に感じられることもあります。その都度、柔軟に見方を変えていく予定です。

ルール⑦:手を抜かない

取り上げる作品は全力で鑑賞し、全力で記事を書きます。

一度作品を鑑賞して理解できなければ、理解できるまで観返します。関連する作品や書籍があれば、可能な限り参照します。

スクリーン(画面)の隅から隅まで、フィルム(動画)の端から端まで、目を皿のようにして鑑賞します。それが当ブログの筆者にできる唯一の能力だと考えています。

最後に:スクリーンから世界を覗く


当面は上記のルールに従って記事を書いていきます。

このブログのコンセプトは「映画を通して世界を見る」ことです。作品を鑑賞して単に「面白かった」と感想を漏らすだけではなく、その作品を通して世界のあり方について考えを巡らせてもらえば嬉しいです。

今後とも「独走的な、あまりに独走的な」のブログをご贔屓ください。