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【おすすめ】『人間の時間』公開記念:キム・ギドク監督の全作品を解説

私の映画で表現される人々は、すべて悪人や善人ではなく、ただの人である。

キム・ギドク

韓国映画界の鬼才と呼ばれるキム・ギドク監督。世界三大映画祭のすべてで賞を獲得し、マーティン・スコセッシをはじめとする映画人からも高い評価を受けている彼ですが、その一方でつねに批判が絶えない人物でもあります。

気を失いそうになるほど痛ましい暴力に、男性支配を誇示するかのようなセックスの描写。韓国映画界の大作主義に反旗を翻し、小規模上映を貫くスタイルも相まって、彼が異端視されていることは否定できない事実です。

とはいえ、キム・ギドクという監督はその始まりから異端でした。貧しい家庭に生まれ、学歴主義とは無縁の人物。絵描きになるため30歳で渡仏し、そこで初めて映画を観たという天然記念物

そんな男が撮った作品を、韓国映画やアジア映画といったジャンルで括ること自体が野暮なのかもしれません。ただ一つ言えることは、彼の作品が鬱結した情念に燃えたぎっており、私たちを社会とは遠く離れた場所へと連れて行ってくれること。観客にとって、それ以上に何が必要でしょうか?

キム・ギドク監督の経歴

キム・ギドクは1960年、慶尚北道の奉化で生まれました。山間部の貧しい村で育った彼は、9歳の時に京畿道(ソウルの周辺地域)へと移住しています。

幼少期は機械に興味を持っていたそうですが、厳格な父の方針で進学をあきらめ、17歳にして工場で働くことに。現場では独自に機械部品を組み立て、生産効率を大幅に上昇。若くして工場長のポストに就きます。

しかし、父の圧制から逃れるため、彼は20歳で自ら海兵隊に志願します。時は「光州事件」で軍事的な弾圧を行った全斗煥の政権下にありました。

5年後に除隊すると、今度は牧師になるため、教会でボランティアを行いながら夜間神学校に通う日々を送ります。それと同時に、子どもの頃から好きだった絵の世界に没頭するのでした。

30歳の時、彼はわずかな貯金を手にフランスへと渡ります。モンペリエ近くの港町にアトリエを構えると、主に路上で肖像画を売って生計を立てることに。その後はヨーロッパ各国を巡回し、作品の展示も行ったといいます。

その旅の途中、たまたま立ち寄った映画館で、彼は生まれて初めての映画(特に『羊たちの沈黙』や『ポンヌフの恋人』)を観たのでした。

感化された彼は1992年に帰国すると、本格的な脚本の執筆に取りかかります。シナリオ作家協会のクラスに通いながら、脚本コンテストに応募。幾度かの落選の後、『無断横断』という脚本が映画振興公社の公募でグランプリを受賞します。

この作品の映画化には頓挫しますが、その後に執筆した『鰐~ワニ~』が製作会社の目に留まります。当初は脚本だけ渡す予定でしたが、とっさの思い付きで監督権も得ることに。こうして、キム・ギドク監督のキャリアが始まるのでした。

キム・ギドクを読み解くキーワード

暴力:日常的なものが凶器=狂気となる

バイオレンスはキム・ギドクの代名詞といえます。登場人物たちの、ためらいもなく湧き出るルサンチマン。鈍い音とともに殴打が繰り出され、多種多様な道具が凶器としての牙をむきます。

ギドク作品の何が面白いかと言えば、この凶器の奇天烈なバリエーションにあります。たとえば『受取人不明』の少年は尻に仕込んだ針金で相手を絞殺しようとします。『魚と寝る女』の男は釣り針で痛ましい自殺を図りますし(初上映では失神する観客も出たとされます)、『ワイルド・アニマル』の女にいたっては冷凍された魚で男を刺し殺します。もはや殺し方研究会。

この点についてはギドク自身も語っており、日常的な道具が凶器となることに意義を感じているようです。それまで親しんでいたはずの物が、ある日おぞましい狂気へと姿形を変えてしまうということ。彼の映画では暴力の普遍性だけでなく、その偏在性も描かれているといえます。

性愛:むき出しの身体に刻まれる記号

暴力と近接したイメージとして、性愛もギドク作品には欠かせない要素のひとつです。もちろん、そこで描かれるのは通り一遍のセックスではありません。豊かな性愛が描かれるということはほとんどなく、多くは性暴力として描かれます。

暴力もセックスも、近代社会が厳しく統制してきた行為に違いありません。それは動物的な欲望にもとづくものであって、人間的な理性とは一線を画するものです。しかし、ギドク作品の登場人物たちは容易にその一線を踏み越えてしまう。社会の外部で、人間は等しく裸形をむき出しにします。

セックス、そして暴力が生み出す身体的なリズムは、その裸形に耐えがたい苦痛と記憶を刻み込みます。社会的なコミュニケーション手段である言語を持たない者たちは、自らの欲望を直接身体へと向けるのです。

宗教:キリスト教的な贖罪と仏教的な無常観

20代の頃には牧師を目指していたキム・ギドク。その宗教観は『サマリア』(04年)や『嘆きのピエタ』(12年)といったタイトルにも明瞭にあらわれています。どちらの作品も、セックスや暴力と結託した世界に身を置く主人公は、父なる/母なる存在と出会い罪の意識に芽生えるのです。

とはいえ、ギドクにとっての宗教とは単なるプロテスタンティズムではありません。例えば『春夏秋冬そして春』(03年)で描かれたのは、キリスト教的な贖罪意識と仏教的な無常観がミックスされた、独特の作品世界でした。湖に浮かぶ小さな庵を舞台に、大罪を犯した男が悔い改め、修行を通して僧となるまでの人生が、四季の移り変わりとともに語られるのです。男の姿が雄大な情景の中に溶け込むとき、私たちは観察眼的な視点から、ひとつの人生の儚さを知ることになります。

さらに言えば、その宗教観は『うつせみ』(04年)において極致へといたります。この物語の中では、禅の修行によって存在感を失っていく青年の姿が描かれます。それは「きっと心が軽くなるよ」的な似非マインドフルネスの類ではなく、本当に存在そのものが重さを喪失する過程にほかなりません。

窃視:それは女性蔑視なのか否か?

覗き見ること。ギドク作品の登場人物たちは、みな窃視症に苛まれています。デビュー作『鰐~ワニ』(96年)の浮浪者がカーセックスを盗撮することなどは序の口。『ワイルド・アニマル』(97年)に登場する北朝鮮の脱走兵はパリの覗き部屋で恋をしますし、『受取人不明』(01年)のいじめられっ子は、障子の穴から少女の自慰行為を覗き見ます。

映画史において、窃視というのはフェミニズム批評の文脈を免れないモチーフでもあります。古くはヒッチコックの『めまい』における男の視線が問題とされたように(ローラ・マルヴィ)、映画には男が女を覗き見るという家父長的なイデオロギーが潜んでいます。そのことを根拠として、キム・ギドク作品にフェミニストの立場から批判を加えることも一応の正当性があるでしょう。

とはいえ、キム・ギドクの映画は本当に家父長的権力に侵されているのでしょうか? たしかに『悪い男』(01年)の主人公はマジックミラー越しに女子大生のセックスを覗き見ますが、そこには愛を直接に伝えられない悲哀がほの見えます。『弓』(05年)のロリコン老人は、囲っている少女と象徴的な仕方でしか結びつくことができません。

多くの批判とは裏腹に、ギドク作品の窃視が物語っているのは、哀切きわまりない生き物の姿であるように感じられます。母親にペニスを切除された『メビウス』(13年)の少年のように、彼らは何かに仮託することでしか欲望を表現できないのです。

寡黙:話せないのではなく、話そうとしない

キム・ギドク作品の登場人物たちは、どういうわけか固く口を閉ざします。たとえば『魚と寝る女』の主人公である釣り堀の女管理人は、好意を寄せる男と一言も言葉を交わすことなく、自ら呼んだ売春婦をあてがうことで彼を慰めようとします。あるいは『悪い男』で描かれるヤクザの男は、街で出会った女子大生の唇を強引に奪い、何の心情を伝えることもなく売春婦へとおとしめてしまうわけです。

とはいえ、彼/彼女らが唖者になる身体的障害を抱えているのかといえば、そんなことはありません。事実として、件の女管理人は電話で売春婦を呼んでいる姿が描かれていますし、ヤクザの男には叫びにも似た台詞を発する一場面が用意されています。

つまり、ギドク作品の登場人物は話せないのではなく、話そうとしないのです。黙秘にも似た意志の表明なのか、あるいはトラウマ的な心の傷を負っているのか。いずれにせよ、そこには言語、ひいては言語が構築する社会に対しての激しい異議申し立てがあるように感じられます。川の淀みのような底辺に生きる者たちは、自ら黙することによって社会に抵抗し、その代わりとして肉体の欲動をあらわにするのです。

キム・ギドク監督作品ガイド

個別ページでは各作品の詳細な情報とあらすじ、および解説・考察をまとめてあります。

鰐〜ワニ〜(1996年)


鮮烈なデビュー作。漢江のほとりで暮らす浮浪者の男と川に身を投げた女。けっして幸福にはなれない二人の関係。

ワイルド・アニマル(1997年)


全編フランスロケを敢行。パリに不法滞在する二人の男の絆を描いたギドク流ブロマンス。

悪い女〜青い門〜(1998年)


港町にやって来た一人の売春婦が次々と男を虜にしていく。淀んだ社会の突端で、優しく愛おしく生きる女性の姿。

魚と寝る女 (2000年)

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湖に浮かぶ釣り堀を舞台に、管理人の女と逃亡者の男のサディスティック・ラブ。目を覆いたくなる残酷描写は映画祭で物議を醸すことに。

リアル・フィクション(2000年)


キム・ギドクが脚本を書き、12人の映画監督がシーンの撮影に挑んだオムニバス。その撮影時間は3時間20分。現実と虚構の狭間で揺蕩う不可思議な作品。

受取人不明(2001年)


米軍基地のある村を舞台に、4人の少年少女が織りなす青春群像劇。アメリカの影が暴力の連鎖を生む……。

悪い男(2001年)


キャッチコピーは「俺の恋人を娼婦にする」。好きを好きと言えないのがギドク作品の理。公開時はミソジニー(女性蔑視)との批判も。

コースト・ガード (2002年)


民間人を誤射してしまった海兵隊員(チャン・ドンゴン)。罪の意識に苛まれた彼は理性を失うが、その狂気は次々に伝染していくことに。韓国を舞台にした『7月4日に生まれて』的反戦映画。

春夏秋冬そして春(2003年)


全米が舌を巻いた!? キリスト教と仏教の世界観が交錯する、一人の男の人生を四季に収めた物語。

サマリア(2004年)


援助交際をする女子高生二人組。「救済者」を自称する彼女たちの顛末と、娘の裏の顔を知ってしまった父親の悲劇。

うつせみ(2004年)


究極のノマド生活。空き家に忍び込んで寝泊まりしている青年が、虚ろな目をした女と出会う。

弓(2005年)


船の上で少女を囲っているロリコン老人。婚姻の日を心待ちにする男のいじらしい幻想譚。

絶対の愛(2006年)


恋人の心を繋ぎとめるために整形で顔を変えた女。同一性を見失い、愛の本質を見失い、最後に見るのは悲しい現実。

ブレス(2007年)


自殺願望のある死刑囚と、夫の浮気に苦しむ主婦。死に惹かれた二人は面会室で出会い、交流を重ねていく。

悲夢(2008年)


夢遊病に苛まれた女と、その夢を共有してしまった男(オダギリジョー)。対になる二人が結ばれる衝撃のラスト。

アリラン(2011年)


前作の後、山で隠遁生活を送ることになった監督がカメラを回す。再起のきっかけとなるセルフ・ドキュメンタリー。

アーメン(2011年)


恋人を訪ねてヨーロッパにやって来た韓国人の女。パリやベニスを巡る中で、謎の男にレイプされ……。超低予算の実験的ロードムービー。

嘆きのピエタ(2012年)


闇金融の取り立て屋をしている冷酷な男の前に、彼の母親を名乗る女が訪ねてくる。息子の常軌を逸した罪をすべて受け入れる彼女だったが……。

メビウス(2013年)

U-NEXTへ
夫の浮気に激高した妻が、息子のムスコを刃物で切断。残された父子はペニスを使わない自慰行為を探求することに。痛ましい家族の愛。

殺されたミンジュ(2014年)


とある殺人事件の報復として、謎の集団が犯人グループを拉致していく。実はこの集団、烏合の衆であることが露見してしまい、次第に統制を失っていく。

STOP(2015年)


福島原発事故を題材にオール日本ロケ、日本人キャストで撮影された作品。福島から避難した若い夫婦が、生まれてくる子どもをめぐって疑心暗鬼に陥る。

The NET 網に囚われた男(2016年)


北朝鮮から漂流してきた漁師の男が、スパイの容疑をかけられて厳しい取り調べを受けることに。行き過ぎたナショナリズムの末路は北も南も変わらない。

人間の時間(2018年)


藤井美菜×チャン・グンソク。異次元へと迷い込んだクルーズ船で、乗客は理性を失い、むき出しの人間性をさらすことに。

3000(2019年)

カザフスタンで撮影された英語作品。カンヌ国際映画祭でバイヤーのみに公開されており、今後の配給が待たれる。

キム・ギドク作品を鑑賞する方法

当ブログで解説に用いたのは次のサービスです。

動画配信:U-NEXT
宅配レンタル:DMM DVD/CDレンタル
U-NEXT DMM
鰐~ワニ〜
ワイルド・アニマル
悪い女〜青い門〜
魚と寝る女
リアル・フィクション
受取人不明
悪い男
コースト・ガード
春夏秋冬そして春
サマリア
うつせみ
絶対の愛
ブレス
悲夢
アリラン
アーメン
嘆きのピエタ
メビウス
殺されたミンジュ
STOP
The NET 網に囚われた男

参考文献(日本語・英語のみ)

『キム・ギドクの世界 ~野生もしくは贖罪の山羊~』チョン・ソンイル、秋那/南裕恵訳、2005年、白夜書房。

Kim Ki-duk (Contemporary Film Directors), Hye Seung Chung, University of Illinois Press, 2012.