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作品のポイント

  • グザヴィエ・ドラン監督の第2作で、このとき若干20歳。
  • 即興的な撮影スタイルはヌーヴェル・ヴァーグの作家を彷彿とさせる。
  • 三角関係に囚われた男女の揺れ動く視線に、ドランの美学を感じ取る

『胸騒ぎの恋人』作品概要


19歳にして『マイ・マザー』(09年)を発表し、カンヌで喝采を浴びたグザヴィエ・ドラン。その第2作『胸騒ぎの恋人』(Les Amours imaginaires)は2010年に公開されました。

本来は『わたしはロランス』(12年)の制作を進めていたドランですが、スタジオ撮影に時間がかかると知り、急遽『胸騒ぎの恋人』の制作に取りかかることに。生き急いだ結果、先に本作の方が公開されることになりました。

前作に引き続きドラン自身が主演を務めるほか、ヒロインには気鋭の女優だったモニカ・ショクリが抜擢。フランスの美形俳優ニール・シュナイダーや、ケベック出身の女優アンヌ・ドルヴァルも名を連ねています。ちなみに、ラストシーンに出演している端役は、映画監督フィリップ・ガレルの息子としても知られる俳優のルイ・ガレル

同性愛者のフランシスと異性愛者のマリー。互いを理解する二人の前に魅力的な青年ニコラが現れ、火花を散らす三角関係が展開されます。

『胸騒ぎの恋人』あらすじ

舞台はモントリオール。フランシスマリーは気のおけない親友でした。ある日、2人はパーティーの席でニコラと出会います。同性愛者のフランシスも異性愛者のマリーも、魅力的な彼に対して同時に一目惚れ。仲良くなった3人は揃って出かけることが多くなります。

フランシスとマリーが恋に燃えていることは明らかでしたが、ニコラは曖昧な態度をとり続けます。そのおかげで奇妙な三角関係が生じてしまい、二人は恋敵として探りを入れ合う仲に。ニコラの誕生日プレゼントをめぐって互いに火花を散らします。

しばらくして、3人はセントローレンス川近くの別荘へ出かけます。キャンプの火を囲み仲睦まじく戯れるフランシスとニコラを見て、気分を害するマリー。翌朝、疎外感を感じた彼女はひとり別荘を後にしようとします。慌てて追いかけるフランシスとマリーは取っ組み合いの喧嘩を始め、その様子を見たニコラは帰ることを提案するのでした。

季節は深まり、フランシスとマリーはそれぞれの方法でニコラに思いを伝えようとします。彼の答えは、しかし残酷なものでした。

『胸騒ぎの恋人』解説・考察

ポップ・シネマの作風

前作『マイ・マザー』の映画史的な引用元が『大人は判ってくれない』であるとすれば、本作のそれは『突然炎のごとく』(あるいは『はなればなれに』)でしょう。その影響は主人公の三角関係だけでなく、カフェでの対話やシャンソンの効果的な使用にも見てとることができます。

さらに言えば、屋外での手持ち撮影が多用されている点も、トリュフォーやゴダールをはじめとするヌーヴェル・ヴァーグの作家たちを想起させます。即興で構図を決めたのか、ショットは大胆で魅惑的。主人公の揺れ動く心情が画面越しに伝わります。

その一方で、スローモーションサブリミナル的なイメージの使用はドラン独自のもの。監督の軌跡を追ったドキュメンタリー『グザヴィエ・ドラン バウンド・トゥ・インポッシブル』では、彼の作風を「ポップ・シネマ」と呼称していましたが、この「ポップ」さをどのように捉えるかで作品の評価も分かれるのかもしれません。同様の手法は近年の日本映画においても、たとえば熊切和嘉の作品などに見てとることができます。

あるいはまた、この物語が同性愛を含んでいることも言及しないわけにはいきません。ドラン自身が演じるフランシスが描きこまれるだけで、ありふれた三角関係の糸は一気に張り詰めます。それは彼が性的にクィアであるという単純な理由からではなく、彼の目線がクィアであるからです。本作でのドランは『マイ・マザー』以上にその視線の美学に精通しています。落ち葉の上でニコラと戯れる場面や、通りで彼と鉢合わせコーヒーをこぼしてしまう場面。あるいはひとり見送る寂しげな目線。そこでは目を見ることの逡巡や不安の色があらわれています。

揺れ動く視線の美学

話は大きく逸れますが、ナンパの実践でも知られる社会学者の宮台真司が「ある時期から街の女性が目を合わせなくなった」と語ったことがありました。現代人は互いに見つめ合う出会いやセックスの関係を避けるようになったのだと、そう主張するわけです。

たしかに恋愛は視線のゲームであり、見ることと見られることの絶え間ない攻防戦の果てに到達するものです。その意味で言えば、同性愛者は異性愛者以上にこのゲームに長けているといえます。見つめ合う関係が失われつつある時代にあって、その本来的な意義を貫き通しているのです。

このクィアな視線は何もフランシスだけでなく、ドランに采配されたマリーの動揺やニコラの誘惑、そしてニコラの母親"デジレ"の放縦さにまで伝播されています。そのいずれもが視線の静かなる攻防に馳せ参じ、途切れることのない争いを持続しています。本作のカメラは対話での切り返しショットを極力避ける傾向にありますが、そのことによっても視線の緊張感が強調されることになります。というのも、切り返しショットは本来見つめ合っていない二人をフィクショナルに見つめ合わせてしまうという点で、恋愛における視線の本質を欠いているといえるからです。

そう考えると、本編の流れを断ち切って挿入されるノンフィクショナルな映像の意図も見えてくるかもしれません。おそらくは主人公と同じような形で失恋をしたと思われるインタビュイーの男女。そのなかには異性愛者もいれば同性愛者もいるようで、各々の経験をカメラの前で話します。

ドランの演出に丸め込まれた私たちは、彼/彼女らが見せる様々な目に魅了されます。ためらうような伏し目、苦悩に眉をひそめる目。憧憬や追想の遠い目。話の内容などはそっちのけで、ここでは表情と視線こそが重要な技芸であるような気さえします。いわば本作は、フランシスのクィアな目線を物語の限定的な枠組みに押し込めるのではなく、より普遍的多様なものとするための試みだったのかもしれません。

その普遍性への希求は、次作『わたしはロランス』で魂の叫びとなって顕現することになります。

グザヴィエ・ドラン監督のまとめ記事はこちら。経歴や関連キーワードとともに、全作品を完全解説しています。

関連作品:『明日に向かって撃て!』


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