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マルクス・ガブリエル『新実存主義』『世界史の針が巻き戻るとき』書評:自己を規定し、表象の危機を乗り越えろ

『新実存主義』『世界史の針が巻き戻るとき』概要

・マルクス・ガブリエル『新実存主義』岩波新書、2020年。
・マルクス・ガブリエル『世界史の針が巻き戻るとき』PJP新書、2020年。

1980年生まれ。史上最年少の29歳で、200年以上の伝統を誇るボン大学の哲学科・正教授に。西洋哲学の伝統に根ざしつつ、「新しい実在論」を提唱して世界的に注目される。また、著書『なぜ世界は存在しないのか』(講談社選書メチエ)は世界中でベストセラーとなった。

『世界史の針が巻き戻るとき』著者紹介より

『新実存主義』『世界史の針が巻き戻るとき』書評

『新実存主義』:サルトルが遺したもの

上はTEDの講演ですが、もはや掲載する必要はないかもしれません。著者紹介にある通り、稀代の哲学者マルクス・ガブリエルに世界が注目しています。その著作のいくつかはすでに邦訳され、日本でも大きな話題を呼びました。そんな彼が「心」と「身体」との関係、いわゆる心脳問題に踏み込んだものが『新実存主義』です。

「新実存主義」。何やら懐かしい響きがする題名ですが、あえてサルトルの実存主義を引き合いに出すあたり、マルクス・ガブリエルの戦略的な態度がほの見えます。もちろん、彼の思想は実存主義のそれとは異なり、大陸系と分析系、両者の歴史を幅広い射程でとらえたもの。とりわけポストモダン思想の構築主義を批判的に乗り越え、21世紀の新たな視座を提示した点で革新的といえます。

とはいえ、そこには実存主義との共通点も見出せるはずです。序論を記したジョスラン・マクリュールが指摘しているように、ガブリエルの思想は「実存主義はヒューマニズムである」というサルトルの言葉(正確には講演名)を地で行くように思えるからです。人間の理性を重んじ、実在論の地平に立ちながら現代の政治・社会問題に切り込んでいくスタイルは、NHK番組「欲望の時代の哲学」などでも話題となりました。

ガブリエル自身も、実存主義から次の二点の思想を受け継いでいると述べています。

1.人間は本質なき存在であるという主張
2.人間とは、自己理解に照らしてみずからのあり方を変えることで、自己を決定する者であるという思想

『新実存主義』140-141頁

いずれも重要ですが、特に2つ目の自己決定(アンガージュマンと読み替えても問題ないはずです)は、非常に今日的な問題を含んでいるといえます。それは現代思想が長く見失っていた主題であり、現代の哲学があらためて立ち返るべき場所なのかもしれません。サルトルの実存主義は、戦後の混迷した情勢のなかで大衆に受け入れられました。それと同じように、ガブリエルの思想も今日の世界情勢のなかで、ビビットな武器となるはずです。

『世界史の針が巻き戻るとき』:表象の危機を乗り越える

というわけで、そんなガブリエルが現代社会を論じた本が『世界史の針が巻き戻るとき』です。日本向けの独占ロングインタビューということで、文体(+翻訳)は平易にして明快。2018年に翻訳が出版された『なぜ世界は存在しないのか』も一般読者向けの本でしたが、本書はそれ以上に歯切れがよく、予備知識がなくてもスムーズに読み進めることができます。

そこで開陳されているのは、著者の掲げる「新実在論」の思想が、グローバル化・情報化する世界に対していかに有効な武器となり得るのか、という点につきるでしょう。グローバル化・情報化がもたらした弊害。たとえば、それは資本主義の限界であり、民主主義の失墜であり、フェイクニュースの蔓延する状況であるといえます。そして、ガブリエルはこれらの問題すべてを「表象の危機」と呼ぶのです。

そもそも「表象」とは何か。著者の定義によれば、それは「正確か不正確かの属性を持つ現実のモデル」であるといいます。写真や動画はもちろん、「テーブルにグラスがある」という思考も表象です。あえて雑駁な言い方をすれば、「イメージ」と言い換えられるかもしれません。

この「表象」は正確な時もあれば、不正確な時もあります。「テーブルにグラスがある」と私が思考したとしても、それは単なる勘違いで、テーブルの上には何も置かれていないことも考えられます。あるいは写真に収められた大統領は、実は偽物であるかもしれません。

つまり、「表象」は現実に対して真偽の属性を持つことになります。本来、こうした「表象」の属性は、それが現実に指し示す事物との関係において判断されるものです。現実のグラス、現実の大統領を基準として、表象の真偽は決定するのです。

ところが、著者が「表象の危機」と懸念する状況のなかでは、人々は誤った考えにとらわれています。それは「表象の属性(真偽)が、表象との関係性によって決まる」という思想です。人々は現実のコップや大統領を見ようとしません。表象としてのコップや大統領だけを比較し、その真偽を判断してしまうのです。

たとえば、フェイクニュースはSNS上のイメージだけを判断することで生まれます。民主主義の失墜は、政治家が有権者の代理(=表象)であることを忘れたときに訪れます。あるいは資本主義の限界は、お金が(商品ではなく)お金そのものを表象すると考えたときに直面する問題です。

そう、すべては「表象によって表象が決まる」と誤解することで生じる問題といえます。そしてこの考え方に対し、ガブリエルの「新実在論」は真っ向から否定を突きつけるのです。形而上学を否定し、構造主義を否定したところに「新実在論」の価値は置かれています。

こうなると、私たちは結局サルトルへと戻ってきます。実存主義とは、けだし「表象」を超越論的な仕方でとらえることを許さなかったように思えるからです。むろん、修正点はありますが(たとえば実存主義に含まれる自然主義の傾向を、新実存主義は認めません)、実存主義の延長線上に、そのはるか先に、ガブリエルの哲学が見えてくるのです。