特集記事

U-NEXTへ
恋人を愛するあまり、その男性器を切り取ってしまったのは『愛のコリーダ』(1976年、大島渚監督)の主人公・阿部定でした。一方、こちらは切り取られた男性側の物語です。

キム・ギドク監督の鮮烈なフィルモグラフィの中でも一二を争うほどの問題作。できれば観返したくなかった作品ですが、新作『人間の時間』(2020年3月公開予定)に合わせて取り上げます。

男と女も本気で目を覆いたくなること間違いなし。今回は『メビウス』を紹介です。

『メビウス』作品概要


『メビウス』(2013年)はキム・ギドク監督による韓国映画です。前作『嘆きのピエタ』(2013年)でベネツィア国際映画祭金獅子賞を獲得したギドク監督ですが、続く本作も同映画祭で上映されました(ただしコンペティション部門外)。

主要キャストとして、ギドク作品でお馴染みのチョ・ジェヒョンと、当時15歳の若手俳優ソ・ヨンジュが出演。さらに『さよなら歌舞伎町』(2014年、廣木隆一監督)にも出演した女優のイ・ウヌが一人二役を演じています。

全編にわたり無言劇で展開される『メビウス』。母に性器を切断された息子と、その原因を作った父親、二人の親子関係を中心に描かれる、センセーショナルな愛憎劇です。

『メビウス』あらすじ

物語はとある家族の惨劇で幕を開けます。夫の浮気現場を目撃した母親は、ある晩寝室に忍び込み、彼の性器をナイフで切断しようとします。しかし、あと一歩のところで感付かれてしまい失敗。代わりに彼女が向かった先は、高校生になる息子の寝室でした。

彼女はベッドに潜り込むと、息子の性器を切り取り、狂気の表情で飲み込んで見せます。悶絶する息子と唖然とする父親を前に、ふらふらと家を出ていく母親。

残された父子の苦悩が始まります。父親は罪悪感に苛まれ、医学的に去勢をすることに。一方、性器を失った息子は学校でいじめの標的にされてしまいます。

息子が食料品店に入ると、夫の浮気相手だった女がいました。彼女から誘惑されながらも、それに応えることができない息子。店を訪れた不良が女を強姦しますが、息子は手をこまねくことしかできません。挙句の果てには、不良と一緒に強姦罪で逮捕されてしまいます。

独房に収監された息子のために、父親は性器なしでオーガズムを得る方法を調べます。インターネットで見つかった情報によれば、石を肌に擦り続けることで、射精と同等の快感が得られるというのです。

痛みに悶えながら、流血するまで肌を擦り続ける父親。ついに彼はオーガズムに達することに成功し、その方法を独房にいる息子に伝えます。

快楽を取り戻した息子は、出所して食料品店の女のもとに向かいます。ようやく彼女との繋がりを得ることができた息子。しかし、その行為は次第にエスカレートしていくのでした。

やがて物語は、もう一つの惨劇を持って幕を閉じることになります。

『メビウス』解説・考察

シュールな無言劇

本作の登場人物には名前がありません。そして誰も言葉を発しません。

ひとまず「母親」と呼ぶことにする女(イ・ウヌ)は、夫の浮気現場を目撃したことで怒りに駆られます。夜中に夫の寝室へ忍び込むと、彼の男性器をナイフで切断しようと試みる。しかし間一髪のところで夫は目を覚ましてしまい、代わりに彼女の矛先は息子へと向けられるわけです。

この時点で、この母親は狂人と思われる人もいるかもしれません。確かに、本来責められるべきは浮気をした父親の方で、息子はその"とばっちり"を受けたに過ぎない。この理不尽な展開は、開始早々にシュールな笑いを誘ってしまいます。「この映画、コメディだっけ?」と。

しかし冷静になって考えてみると、母親の凶行とその後の行動には合理性があります。つまり、彼女は夫の浮気に激怒しているのではなく、その浮気の原因となった「男の性欲」を許すことができない。だから父の浮気現場を思い出し、自慰行為に励んでいた息子の「男根」を切り取ってしまうわけです。

この象徴性に「家父長制社会で抑圧された女性」というようなフェミニズム的文脈を重ねることも可能でしょう。しかし、キム・ギドクという監督に通俗的な社会批判の精神を読み取るのは、いささか無粋かもしれません。

実際、本作の鮮烈なラストシーンを見れば、キム・ギドク監督が社会とは無縁の立ち位置にあることが分かるはずです。彼はひたすら情念的な作家であるように思います。

一人二役のイ・ウヌ

と、ここまでは母親を中心に述べました。プロットの大部分は、家に残された父子を巡って展開されることになります。

男根を失った息子の前に現れるのは、父の不倫相手だった食料品店の店主でした。驚くべきことに、この女もイ・ウヌが演じています。猟奇的な母親から一転、初々しさの残る女性を巧みに演じ分けているので、ややもすると初見では気付かないかもしれません。

ギドク監督がここで一人二役を用いた理由は明らかでしょう。この女性は母親を代理するイメージとして登場しています。

フロイトの精神分析には「エディプスコンプレックス」と呼ばれる概念がありますが、これは人間の根源的な欲求として、母親を手に入れようとする願望があることを示しています。母親が退場した代わりに、この女が息子の欲望の対象となるわけです。

とはいえ、息子は去勢された存在。愛したくとも愛せない男の哀しみは、本作が無言劇であることによって強調されます。

ここで描かれているのは文字通りの去勢ですが、多かれ少なかれ、そして男女問わず、私たちは去勢された存在です。

誰もが自分を抑圧し、欲望を封じ込めて生きているはず。憧れの芸能人やブランド品を手に入れることができないと知った時、人は諦念とともに代わりのもので満足を得ることになるのです。

「代理」の監督キム・ギドク

「代わり」という言葉を使いましたが、キム・ギドクという監督は、まさに「代理」のイメージが相応しいように思います。

『魚と寝る女』(2000年)の女は、好意を抱いた男を上手く愛せず、自分の代わりに売春婦を送ってしまうような人物です。あるいは『悪い男』(2001年)の主人公も、恋する女を売春婦に落とし、彼女が客と行為に及ぶ光景をこっそりと鑑賞するような男です。

本作『メビウス』もその例外ではなく、男根を失った息子は「代わり」の方法でオーガズムを得ようとします。目を覆いたくなるほどマゾヒスティックな行為(ギドク作品にはお馴染みの表現ですが)によって女と繋がろうとする息子。もはや「コメディだっけ?」とは言わせないほどの気迫が伝わる場面です。

ただしこの作品、終盤に別の波乱が待っています。息子は失われた男根を取り戻し、家を飛び出した母親は帰ってくるのですが……。

それで元の鞘には収まらないのがギドク節。先ほど「情念的な監督」と書きましたが、ラストは彼の湧き出る情念が画面全体に広がることになります。

あまりに凄惨な結末を、その目で確かめてみてください。

キム・ギドク監督のまとめ記事はこちら。経歴や関連キーワードとともに、全23作品を完全解説しています。

次に観るのは:『ニンフォマニアック vol.1/vol.2』(2013年)

デンマークの監督ラース・フォン・トリアーによる2013年の映画。色情狂の半生を描いた物語で、前後編合わせて4時間に及ぶ大作となっています。

トリアー監督というと「鬱」のイメージがあるかもしれませんが、本作は娯楽作としての傾向も強く、比較的に鑑賞しやすい部類に入ります。もちろん扱っているテーマは「性」そのもので、不用意に人に勧めることは避けた方がいいかもしれません。