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クエンティン・タランティーノ監督が「長編を10本撮ったら監督業を退く」と公言していることは有名です。今回の『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』はその9本目。映画産業を舞台にした物語で、これまでの集大成に近い作品といえるでしょう。

まだ気が早いかもしれませんが、もしも彼の言葉が本当だとすれば、そのフィルモグラフィーは前期5本と後期5本で分けられるはずです。『イングロリアス・バスターズ』(2009年)を契機として、タランティーノ監督の作風は明らかに変化しました。

それは、彼の得意とするシネフィル的な参照の方向性が変わったことを意味しています。端的に言えば、前期の作品で見られたのはジャンル映画的な引用でした。それが後期になると、第二次世界大戦やアメリカ史など、歴史的な引用へと移り変わります。

そんなタランティーノは、本作で「ハリウッド史」を描くことになります。それもシャロン・テート殺害事件が起きた1969年。その映画史的な意味とは何なのでしょうか?

今回は『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』のあらすじと解説です。

作品のポイント

  • 1969年に起きたシャロン・テート殺害事件を中心に、実話を交えながら映画史を描く。
  • ハリウッドが1960年代に迎えていた「黄昏」を知っておくと理解が深まるはず。
  • シャロン・テートを救済するために、タランティーノが作り上げた「偽史」に注目。

『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』作品概要


世界中に熱狂的なファンを持つクエンティン・タランティーノ監督。その9番目の長編作品として『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』(Once Upon a Time in Hollywood)は公開されました。

前作『ヘイトフル・エイト』は19世紀アメリカを舞台にした密室劇でしたが、今回は1969年のハリウッドが舞台。実在の人物を登場させながら、カルト集団を率いていたチャールズ・マンソンによるシャロン・テート殺害事件を描きます。

主演はレオナルド・ディカプリオブラッド・ピット。『ジャンゴ 繋がれざる者』(2012年)の記憶も新しいディカプリオですが、ブラッド・ピットとの共演は初。それぞれ落ち目のハリウッド俳優とその専属スタントマンを演じています。

ヒロインとなるシャロン・テートを演じているのはマーゴット・ロビー。『アイ,トーニャ 史上最大のスキャンダル』(2017)では実在のフィギュアスケーターを演じ、近作の『スキャンダル』(2019年)では野心家の若手キャスターを演じたばかり。彼女を通してシャロン・テートが現代に蘇るというのは、映画ファンにはたまらない展開でしょう。

キャラクターのモデルになった人物

また、例によって脚本もタランティーノ自身が担当しています。数年前から60年代のハリウッドを舞台にした作品の構想を練っていたという彼。当初は小説として発表する予定でしたが、映画化の契機は2009年『イングロリアス・バスターズ』の制作時に訪れたそうです。

それは俳優のバート・レイノルズと、彼のスタントマンであるズハル・ニーダムとの出会いでした。『キャノンボール』(1981年)をはじめ、長年にわたり共に仕事をしてきた二人の関係を見て、タランティーノ監督はアイデアを膨らませることに。

結果として、ディカプリオとピットの演じる魅力的なキャラクターが誕生したのです。

『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』あらすじ

舞台は1969年のハリウッド。西部劇ドラマのスターだったリック・ダルトンは、時代の波に押し流され昔の栄光を失いつつありました。知己のプロデューサーからイタリア映画の役を紹介されるものの、ハリウッドスターとしてのプライドを捨てないリックは首を縦に振りません。

そのリックを支えるのが、専属スタントマンのクリフ・ブース。長年リックの相棒としてスタントをこなしてきた彼も、過去のトラブルが災いし、現在はリックの世話役となっている状態でした。

その日もリックはクリフの運転する車で撮影現場に向かいます。若手俳優に花を持たせるため、テレビ西部劇の悪役を引き受けたのでした。宿酔で台詞がうろ覚えになり、自信を失った彼は共演する子役にも慰められる始末。

そんなリックが撮影に臨んでいる間、クリフは彼の家のアンテナを修理していました。屋根の上から見えるのは、華やかな生活を送る隣人の邸宅。そこには映画監督のロマン・ポランスキーと、その妻で若手女優のシャロン・テートが住んでいたのです。

リックとクリフ、シャロン。それぞれの出来事が描かれる中、物語はついに1969年の8月9日へと至ります。その日は、マンソンの信奉者が計画を実行する日でした。

『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』解説・考察

ケネス・アンガーが描いたハリウッド神話

ケネス・アンガーというアメリカの映画監督がいます。彼は実験映画の作家として知られていて、黒魔術への傾倒から生み出されたアバンギャルドな短編ばかり発表している風変わりな人物なのですが、そのアンガーが『ハリウッド・バビロン』という本を出版しています(初版は1959年、新版は1975年刊行)。

ここに書かれているのは、過去にハリウッドの映画界を賑わせたスキャンダルの数々。先に断っておきますが、資料としての価値はほとんどないに等しいことが指摘されています。よくある芸能ゴシップ本と呼ぶのが適当かもしれません。

それなのになぜ取り上げるのかというと、アンガーはこの本の中で1960年代の出来事にまるまる一章を割いているからなんです。ちなみに章のタイトルは「ハリウッドの黄昏」

章の冒頭、アンガーは「60年代以降、古き良きハリウッドは死んだ」と書き出しています。どうやら彼は、ハリウッドに衰退の兆候を見出しているようです。

60年代のハリウッドが迎えた黄昏

この時期のハリウッドで、具体的には何が起きたのでしょうか?

まずはテレビの台頭によって映画スタジオの多くが経営難に追い込まれました。メジャー会社の一つだったRKOは1957年に倒産していますし、20世紀フォックスは『クレオパトラ』(1963年)の失敗も重なり苦しい状況に、MGMも1957年に創業者が死去し、過去最悪の資金難に陥ってしまいます。

そこに追い打ちをかけるようにして、人気スターの悲劇的な死が続きます。1962年にはマリリン・モンローが自死、1967年にはジェーン・マンスフィールドが交通事故死。ハリウッドはセックスシンボルを次々に失ってしまう訳です(さらに言えば、1968年に殺害されたラモン・ノヴァロも、サイレントからトーキーにかけて映画界を牽引したセックスシンボルでした)。

確かに、映画界のスキャンダルをかき集めた『ハリウッド・バビロン』はトンデモ本の類かもしれません。ですが、1950年代末から1960年代にかけてハリウッドが陥っていた危機的状況は誰が見ても明らかだと思います。

この本を通してハリウッド神話を描き出そうとしたアンガーは、図らずもその黄昏を見てしまった訳です。

「これは古き良きハリウッドではない」

肝心のシャロン・テート事件について、アンガーは何を感じたのでしょうか。ただ一言「これは古き良きハリウッドではない」と書き記しています。彼の目から見ても、この事件は異質のものだったのでしょう。

語弊があるかもしれませんが、モンローの自死やマンスフィールドの事故死はまだハリウッド的でした。換言すれば、それは神話的だったと言えるかもしれない。ジェームス・ディーンからリバー・フェニックスに至るまで、若きスターの不幸というのは往々にして美化されるものです。

しかし、シャロン・テートの死は違います。それはハリウッド的ではありません。胎内の子と共に惨殺された彼女に、映画的なイメージが重なることはありません。ハリウッドの堅牢な神話は、狂信的なヒッピーの集団によって打ち壊されてしまったのです。

要約すれば、1969年のシャロン・テート殺害事件は、ハリウッドの歴史において象徴的な出来事でした。それは一人の才気に溢れる女優が命を落としたという意味でもありますが、それ以上に、この「古き良きハリウッド」の神話が決定的な終わりを迎えたという意味で悲劇でした。

70年代に復活を遂げるハリウッド
ここで一言断っておけば、その後のハリウッドは鮮やかな復活を遂げることになります。。例えば、60年代の「政治の季節」を経て、アメリカン・ニューシネマと呼ばれる新たな潮流が生まれることになりました。

スタジオシステムは崩壊し、大作主義は鳴りを潜めることになりましたが、その代わりに作家性の強い監督が多く生まれることになります。以前とは別の仕方で、ハリウッドは再生を果たすことになるのです。

「偽史」としてのハリウッド

前置きが長くなりました。『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』の話に移ります。

タランティーノといえば、自他ともに認めるシネフィル(映画狂)。レンタルビデオ店員だった青年時代に古今東西の映画作品に触れた逸話は広く知られています。そんな彼が「古き良きハリウッド」を愛さないはずがありません。必然的に、この物語はハリウッド史の「救済」というテーマを掲げることになります。

一体どのような救済でしょうか?

タランティーノ監督にとって、それは「偽史」を描くことを意味します。ちょうど『イングロリアス・バスターズ』(2009)で、ナチスドイツの歴史がパロディとして書き換えられたように、彼は「正史」とは異なるハリウッドを提示してみせます(詳しくは書きませんが、『イングロリアス・バスターズ』と同じ火炎放射器が登場するのは確信犯でしょう)。

三者三様の登場人物たち

物語の主人公はハリウッドの俳優リック・ダルトン(ディカプリオ)と、その専属スタントマンのクリフ・ブース(ブラット・ピット)です。

かつてはテレビ西部劇のスターだったリックですが、今は見る影もありません。プロデューサーからはマカロニ・ウェスタンへの出演を勧められますが、ハリウッドスターとしてのプライドが邪魔をして断ってしまう。結局、若手俳優の引き立て役としてテレビ西部劇の撮影に臨むことになります。

仕事を失っているのは、彼の専属スタントマンであるクリフも同じ。どうやら悪い噂が立っているらしく、映画関係者からも遠ざけられています。今はリックの世話役として、彼の送迎や家の修理を手伝ったりしている状態です。

そんな彼らが羨む存在が、リックの隣に越してきた女優シャロン・テートでした。ロマン・ポランスキーという気鋭の監督を夫にし、まさに公私ともに前途洋々の彼女。自分の出演作が街で上映されているのを見かけると、受付に素性を晒して鑑賞することになります。

物語はこの三者を対照的に描くことになります。リックとクリフは凋落し、シャロンは未来に向かって開かれた存在です。

映画館に囚われたシャロン

しかし、私たち観客はすべてを知っています。「正史」のシャロンは間もなく惨殺され、古き良きハリウッドは黄昏を迎えてしまう。本作のタイトルが示す通り、「昔々……」と歴史化されてしまう訳です。

だからこそ物語は「偽史」へと一直線に向かっていきます。ハリウッドの「正史」に抗い、シャロンを助け、古き良きハリウッドを存続させるために。一見すると話の起伏に欠ける本作ですが、「正史」を知る観客にとっては恐ろしくドラマチック的な物語です。

そもそもリックとクリフは、高嶺の花であるシャロンと言葉を交わしたことがないんです。彼女はスクリーンに映る自分の姿を見て、子どものように喜んでいる。その頃、リックは宿酔の中で撮影に臨み、クリフはチャールズ・マンソン(シャロン・テート殺人事件の主犯)のコミューンを訪れている。

けっして交わることはない両者ですが、シャロンは間違いなく物語のヒロインであり、映画館に囚われた姫君です。リックとクリフは彼女を救い出そうとしている。前者は西部劇の世界で最高の演技を見せようと奮闘し、後者は現実の歴史の中で、マンソン・ファミリーと対峙する訳です。

こうしたリックとクリフの戦いが実を結ぶ瞬間は、いわば映画史的な奇跡です。「古き良きハリウッド」への愛に溢れたその結末を、ぜひ確かめてみてください。

次に観るのは:『ロマン・ポランスキーの吸血鬼』(1967年)


『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』の劇中でも、シャロン・テートが実際に出演した映画『サイレンサー第4弾/破壊部隊』(1968年)を観ることができます。この作品、何とAmazon Primeビデオで観ることができます。

それだけではなく、ロマン・ポランスキー監督の『吸血鬼』(1967年)も同様に鑑賞可能。この作品でポランスキーとテートは出会ったとされています。

どちらも生前の彼女の姿を観ることができる数少ない作品です。映画を観た方なら、きっと感極まってしまうのではないでしょうか。