特集記事


海の男をスクリーンで最初に観たのは、相米慎二の『魚影の群れ』だったと思う。この映画で緒方拳が演じているマグロ漁師の男がとにかく男前なのだ。小さな船で獲物と対峙する姿に、大自然への並々ならぬロマンを感じた記憶がある。

今回取り上げる作品の冒頭も、そんな漁師たちの過酷な世界を伝えてくれる。ベテラン船員の怒号が甲板に響き、見習いの漁師が必死で仕事を覚えている。操舵室の船長はといえば、どうやら大漁を祈願して供え物をしているらしい。

このシークエンスだけを観れば、物語がサイコスリラーの様相を帯びていくとは到底思えない。ところが実際、彼らは狂気へと導かれてしまうのだ。あっけなくも人間性を喪失し、海上の密室と化した船は惨劇の舞台となっていく。

ポン・ジュノ制作、シム・ソンボ監督による『海にかかる霧』。今回はこの作品を紹介することにしたい。

『海にかかる霧』作品概要


『海にかかる霧』は2014年に公開された韓国映画だ。2001年に起きたテチャン号事件(後述)を下敷きとして、映画監督であるポン・ジュノのプロデュースにより映画化された。

監督は『殺人の追憶』(ポン・ジュノ監督/2003年)で脚本を手がけたシム・ソンボ。本作ではふたたびポン・ジュノ監督とタッグを組み、共同で脚本も執筆している。

主要キャストとして、『チェイサー』(2008年)で主演を務めたキム・ユンソクが船長役を、元東方神起のパク・ユチョンが船員役を演じている。ちなみに、パクは本作で俳優デビューを飾り、大鐘賞と青龍映画賞(あわせて韓国の二大映画賞とされる)で新人男優賞を獲得することになった。

『海にかかる霧』あらすじ

韓国の麗水(ヨス)港に停泊するチョンジン号は、修理もままならないほどのオンボロ漁船だった。不漁に頭を抱えていたカン船長は、金策のため密航の仕事を引き受けてしまう。船長の言葉に従い、5名の船員たちを乗せたチョンジン号は港を後にするのだった。

指定された場所で乗せることになったのは、朝鮮族の中国人30人あまり。その密航は何事もなく終わるかに思えたが、他船の接近や密航者の暴動など、予想外の出来事が起きていく。

そんな中、新人船員のドンシクは密航者の女性ホンメに恋心を抱くようになっていた。彼女を暖かい機関室へと招き入れるドンシクだったが、そこに海洋警察が巡視にやって来てしまう。慌てた船員たちは、ホンメ以外の密航者を魚艙に隠すのだった。

だが、その行為が取り返しのつかない事態を引き起こしてしまうことになる。突如として立ち込めた深い霧とともに、極限状態へと追い込まれる船員たち。彼らの理性は次第に崩壊していくことになる……。

『海にかかる霧』解説・考察

 作品のネタバレを含んでいる。

テチャン号事件とIMF通貨危機

本作は2001年に起きた「第7テチャン号事件」を下敷きにしている。韓国に密入国しようとした中国人25人が船内で窒息死し、船員がその死体を海に棄てたという事件だ。

映画の内容と異なっているのは、生存者が35名いたということ。韓国に上陸した彼らの一部が捕まり、事件の全容が明らかにされたのだ。結局、船長以下8名の乗組員が過失致死と死体遺棄の容疑で逮捕されている。

実話を基にしたという点では、同じくシム・ソンボとポン・ジュノが手がけた『殺人の追憶』(2003年)と共通項がある。ただし、この二つの作品にはもうひとつ、時代背景が重要なポイントとなっていることも記しておきたい。

そもそも『殺人の追憶』の下敷きとなった「華城連続殺人事件」は、1986年という軍事政権下で起きた出来事だった。ポン・ジュノ監督はこの時代背景を映画にも反映し、刑事たちの行き場のない暴力を描いてみせたのだった。

それなら『海にかかる霧』はどんな時代背景を反映しているかというと、1997年IMF危機ということになる。当時、外貨が流出する事態に直面した韓国政府は国際通貨基金(IMF)に救済を要請し、それがきっかけで国内の金融システムは麻痺状態に陥った。これにより韓国最大の財閥だった現代は解体され、企業の倒産が相次ぐことになったのである。

つまり、カン船長が密航の仕事を引き受けた背景には、こうした景気の悪化があったことになる。韓国企業の倒産は多くの自殺者を出したとされているが、その逼迫した状況がそのまま船上にあらわれていると考えることもできるだろう。

6人の個性的な船員たち

極限状態に陥った人間を描いた本作だが、そのシチュエーションの巧みさは流石といったところ。海上が密室サスペンスの舞台になることは、たとえばヒッチコックの『救命艇』(1944年)がすでに証明しているものの、『海にかかる霧』ではその設定がさらに展開されているように思える。

この作品、とにかく設定に無駄がないのだ。船長含め6名の船員たちはいずれも適当な役割を果たしており、それ以上でも以下でも作品が成立していなかったように思えてしまう。

たとえば、甲板長はカン船長の指示のもとで真っ先に動く手先(ガスが原因となることといい、それはヒトラーとアイヒマンの関係を思い起こさせる)であり、機関室長は良心の呵責を覚える優しい人物だ。両者は対照的なキャラクターであり、それぞれの持ち場(甲板と機関室)で命を落とすことになる。

その他の船員についても同様だ。プレイボーイで手が早い男性欲のはけ口が見つからずに嫉妬する男、は、最終的に女を取り合って死ぬことになる。そしてカン船長新人船員ドンイクは、それぞれの思想(前者は船を愛し、後者は女性を愛している)を持って行動し、最後まで理性を保ち続ける点で対になる存在だ。

この6人の関係性が、一種の幾何学模様のように展開され、ひとつの物語を構築していくのである。その脚本を見事と言わずに何といえるだろうか。

ラストショットが意味するものとは?

何より忘れられないのが、ラストシーンの美しさである。上陸したドンシクの前から去ったホンメとの6年越しの再会。彼女の後姿だけを捉えたショットで物語は幕を閉じる。

ドンシクに向かって、韓国にいる兄=オッパを探していると言っていたホンメだが、ひょっとすると、それは恋人=オッパのことだったのかもしれない。そうではなかったとしても、ホンメはドンシクとの恋が一時のものに過ぎないと悟っていたのだろう。ありていに言ってしまえば、吊り橋効果のようなものだ。

けれども、そんな一時の恋だからこそ、燃え上がる瞬間は何より美しいものとなる。作中で二人が体を重ねることになったのは、船艙での惨劇が起きる"前"ではなく"後"だった。すでに極限状態を迎えた中で二人は結ばれたのであり、そうでなければならなかったのだと思う。

本作のベットシーンとラストシーンは、個人的に韓国映画の極致といえるかもしれない。

次に観るのは:『人間の時間』(2018年)


ポン・ジュノ監督の『パラサイト 半地下の家族』が評判になっているが、キム・ギドク監督の新作『人間の時間』も気になっている。

クルーズ旅行をしていた船が異世界へと迷い込み、取り残された乗客たちが悲惨な事件を起こしていく物語。きっとキム・ギドク流の海上サスペンスになるのだろう。公開後にあらためて記事を書きたい。