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安宅和人『シン・ニホン』書評:パンデミック終息後の日本に向けた指南書

『シン・ニホン』概要

『シン・ニホン AI×データ時代における日本の再生と人材育成』安宅和人、ニューズピックス、2020年。

安宅和人(あたか・かずと)
慶應義塾大学環境情報学部教授。ヤフー株式会社CSO(チーフストラテジーオフィサー)。データサイエンティスト協会理事・スキル定義委員長。東京大学大学院生物化学専攻にて修士課程修了後、マッキンゼー入社。4年半の勤務後、イェール大学脳神経科学プログラムに入学。2001年春、学位取得(Ph.D.)。ポスドクを経て2001年末マッキンゼー復帰に伴い帰国。2008年よりヤフー。2012年7月よりCSO(現兼務)。2016年春より慶応義塾大学SFCにてデータドリブン時代の基礎教養について教える。

『シン・ニホン』著者紹介より

『シン・ニホン』書評

パンデミック終息後の日本

コロナウイルスの感染が拡大している。パンデミックの終息にはワクチンの完成が不可欠であり、それは1年先になるのか、2年先になるのか定かではない。薄く引き伸ばされた不安が人々を襲い、緊急事態宣言の発令によって街から活気が失われてしまった。メディアは連日のように感染者数と死者数を発表し、文化人や専門家が侃々諤々の議論を交わしている。

これはコロナと人類との戦争だ、と誰かが言っていた。なるほど、たしかに今の状況を見れば、つい「戦争」と口に出したくなるのも無理はない。生活物資を買い占めようとする人々が現れ、インターネット上で非難される。もちろん、冷静さを欠いているのはネット民も同じだ。SNSでは過剰な自粛ムードが漂い、違反者を叩こうと相互監視の目を強めている。それは否応なしに、戦時下の配給や隣組の制度を想起させてしまう。

とはいえ、私たちはもう少し冷静になるべきだ。コロナウイルスとの戦いは予断を許さない状況にあるが、それは二つの意味において「戦争」ではない。第一に、「民主主義」が正常に機能している意味において。言い換えれば、国家元首に全権を委任するような例外状態(カール・シュミット)には至っておらず、少なくとも日本においては、民主的な対応策が取られているという意味において、これは戦争ではない。

たとえば、緊急事態宣言や給付金に関して、政府による対応の遅れを非難する声が挙がるが、この国の民主的な制度のなかでは仕方がない側面もある。都市封鎖にしたところで、諸外国とは法的権限が異なっている以上は断念せざるを得ないだろう。むしろ、目下のところ日本が民主主義の秩序を保ったまま、国民が外出を控え、医療崩壊を抑えられている事実に目を向けるべきである。

そして第二に、そもそもウイルスとの戦いに明確な「勝敗」など存在しない意味において、これは戦争ではない。たしかに、人類は過去にもパンデミックの危機を乗り越えてきた。テクノロジーと連帯によって、今回の事態が終息する日も間違いなくやって来るだろう。SFで描かれる宇宙戦争とは違い、未知の侵略者によって人類が滅亡するシナリオは成立しない。

だが、完全な敗北が存在しないということは、完全な勝利も存在しないということだ。巷で散見されるような「コロナに勝つ!」という文言は、少なくとも個人のレベルで叫ばれるべきであって、国家や人類全体のレベルで叫ばれるべきではない。そもそもコロナウイルスに「勝つ」とは、いったいどのような状態を指すのだろうか。もしも終息宣言が出されたとして、私たちは元通りの生活に、「密閉」「密集」「密接」の社会に戻れるのだろうか。人々の意識も行動も、すでに大きく変わってしまったのだ。今回のパンデミックが終息したところで、人類がウイルスの脅威から完全に解放されるという保証は、どこにもない。

だからこそ私たちは、ウイルスと共存するための社会を組み立てなければならない。パンデミックの発生を許すということではなく、パンデミックの発生を想定した上で、ウイルスに脅かされない設計の社会が必要だ。

そのための手段なら知っている。すでに述べたように、これまでの人類が滅亡の危機を切り抜けてきた二つの力、テクノロジー連帯である。

人工知能をマネジメントする

『シン・ニホン』で描かれている日本の未来図は、人工知能を中心とした情報テクノロジーによって達成される。それは緻密な現状分析によって生み出された、この国を再起させるための生存戦略だ。

そもそもこの15年間、日本の経済は著しく伸び悩み、GDPベースでは世界第3位の座をまもなくドイツに明け渡そうとしている。さらに一人あたりのGDPへと目を向ければ、世界30位前後を推移しており、これは1960年代頃の水準だという。膨大なファクトによって著者が突きつけるのは、日本の厳しい現状である。

だからといって、悲嘆に暮れるばかりでは終わらない。「この国はスクラップ&ビルドでのし上がってきた。今度も立ち上がれる」と、著者は映画『シン・ゴジラ』のセリフを借りて、意気揚々と鼓舞してみせるのである。

本書によると、日本再興の前提となるのは「AI-ready化」であるという。それは企業を含む日本の社会が、人工知能(+ビッグデータ)導入のための「議論の用意」をすることを意味している。生活を、企業を、そして教育を「AI-ready化」する。特に人材育成に関しては多くのページが割かれており、既存の資産を活かしつつ、AIネイティブ時代に即した専門家・リーダーのあり方が構想されている。

求められるのは多面的なスキルだ。アインシュタインやジョブズのように、突き抜けた才能があらわれる環境を用意することも重要だろう。そのためには、基礎となる学問、いわゆるリベラルアーツを見直さなければならない。論理的な日本語能力に加え、世界語として英語/中国語を使いこなし、問題解決能力とAIのリテラシーが必須となるのだ。データサイエンスを知るために、文系学生にも最低限の数学的素養が求められることになる。こうなると、これまでの教育システムは根底から変わってしまうだろう。

新しい教育システムによって、私たちは機械に代替されない「知性」を身に着けることができる。どれだけAIが発達したところで、機械がみずから課題を生み出して解決を図ることはできない。創造力は人間にしか備わっていないものだ。AIやデータを総合的にマネジメントするために、人間の知性が必要なのである。

やはり、沈滞した日本をふたたび持ち上げるためには、かなり抜本的な変革をすることが求められる。しかし、単なる絵空事に過ぎないかと言えば、けっしてそうではない。

本書において最も驚くべきは、改革のためのリソース配分だ。著者の計算によれば、年間で2兆円強のコストによって、すべての改革が可能であるという。高額な学費のために減少傾向にあるPhD学生の数は、3750億円の助成金を投じることによって改善される。初頭・中等教育のAI-ready化のためには、4500億円の導入費用。圧倒的に不足してる科学技術予算には、5000億円規模の補正。その他もろもろ合わせて2兆円強。

2兆円の原資であれば、雇用機会の平等化や年金制度の見直しなどによって、けっして捻出できない金額ではない。挑戦さえすれば、未来はそう遠くない場所にある。

その未来では、自動化技術によって暮らしと仕事の環境が大きく変わり、都市集中型の社会は過去のものとなる。若者が家賃の高い都会に集まり、高齢者が田舎で(まるで姨捨山のように)余生を送るという構図はひっくり返るだろう。著者は「風の谷を創る」というプロジェクトを進めているが、その中で構想されている地方型の環境整備は、パンデミックの渦中にある私たちの、希望となってくれるに違いない。